先に断っておくが、カソリックの司祭が年端もいかぬ幼気な少年を襲ったり、生臭坊主が檀家のご婦人と致したりする話ではない。
宗教・淫売・かっぱらいと由緒正しき商売がある中で、その中の一つである宗教という商売に関する話である。
今のご時世でこんな斬新な商売を考えつけば、満場一致でノーベルビジネス賞が受賞出来ることだろう。
恣意的な我流の解釈に基づき、創業者の欲望に無理矢理合致させた教義、関連商品の開発、とその意欲は留まるところを知らない。
行き過ぎた商行為を非難されれば、理不尽な迫害を受ける正しいワタクシを演じることも忘れない。一流の商売人は転んでもタダでは起きないものである。
さて、個人商店から始まったこの商売。ついには営利団体(表向きは非営利団体)へと見事に発展を遂げ、現在では同業者と熾烈な争いを繰り広げているのはご存じのとおり。よっぽど旨味のある商売とみえる。
当たり前の話過ぎて恐縮だが、お金を欲しがり、使うのは生きた人間だけだ。天上ではお金は使えないよ。