テレビは貧乏臭いから見ることが少ない。動物ものの記録映像と天気予報程度しか見ていない。
勤めるようになって、映画館で映画を観ることもほとんどなくなった。皆無と言っていい位に。
テレビの貧乏臭さというのは、例えば五分間の映像にかけられるお金の話で考えれば早い。かけられるお金が映画とテレビで違っている(いた?)のだ。
悲しいことに、最近では映画までも貧乏臭くなってきているみたいだ。映画の構成要素の現状について、少し考えてみればわかる。
脚本は漫画の原作ばかりで、脚本家の育成は放棄されかけ。役者はテレビなんかで食っている現状。映画製作現場はひたすら貧しくなっていく。
鯨はまだ生き残っているけれど、千両を使う千両役者は絶滅してしまった。一人の市川雷蔵なり勝新太郎なりを育てようとしたら、一体いくらかかるのだろう?
経費削減を考える映画製作側は、貧すれば鈍すですっかりドツボにはまっていく。しかし、これも観客側である俺の思い込みに過ぎない(かも知れない)。
試しに、東宝と松竹の財務諸表を見てみたが、映像部門では利益をあげている。(不動産部門で手堅く稼いでいるところも同じ。不動産部門が保険にあたるのかな。)
ざっと確認できるのはそこまでで、所謂、邦画と洋画の利益の内訳までは確認出来ていない。もしかすると、税金対策で邦画部門で赤字を出している可能性も有り得る。
邦画に関して言えば、販売対象は主に日本国内のガキだから、俺は含まれていない。大人たる者、子供騙しの安物に手を出すワケにはいかないからね。
大人の庶民はささやかな贅沢すら味わえなくなっていく。もしかすると、そんな映画もつくられているかも知れないが、俺には知る機会がない。
道楽とは言わないが、せめてささやかな贅沢がしたい。だから俺は貧乏を憎む。
この駄文は下記文献を参照にしてます。
「おこりんぼさびしんぼ」山城新伍著(廣済堂文庫刊)