グローバリズムと全体主義

流行りから一般に浸透した単語なんだが、その意味するところは曖昧だ。敢えて横文字が使われる時はわざと曖昧にされていることもある。

なので、例によって乱暴に実際どういうことになるのかを決めつけてみた。

グローバリズムによれば、国家の枠組みを超えて一つの社会というものが存在すると考えるらしい。要は従来の個別の国家は、国家内国家的な存在として取り扱われることになる。

現状では、共通言語として英語が使用されている。なし崩し的に。非英語圏の人間からすれば随分失礼な話に思える。母国語が英語の下位に位置づけられているようで。

結局、英語圏の金持ちが便利な社会にしたいだけじゃないの?

主張したければ、英語で話しなさいだって?

バカバカしい。

その内、箸じゃなくてナイフとフォークを使いなさいと言われるのか?

突き詰めれば、全体主義と何ら変わりない気しかしない。

俺の目には電車の駅前の味気ない景色が目に浮かぶ。どこに行っても変わり映えのしない似たような景色が。

それか、デイブ・スペクターの垂れ流す下らない駄洒落に、愛想笑いでなく腹を抱えて笑うオツムの貧しい連中の溢れかえる世界が。

御免蒙りたい。

投稿者: 管理人

たまに東映。本業に関係のない四方山話を主に書いてます。

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