差別と本能(人類皆けだもの)

お兄さん「よい子のための文化講座の時間がまたやってまいりました。助手の東映君準備はいいかな?」

東映(弟)君「あのぉ。おいどんは死んだ東映の弟でごわすが・・・」

お兄さん(出た。東映お得意の同一シリーズにおける使い回し。何がしたいんだ、この会社は?)

お兄さん「東映君はどうしましたか?」

東映(弟)君「兄は膾切りにされてホオジロザメの餌にされたでごわす。」

お兄さん「わかりやすいですね。」

東映(弟)君「兄が最期に歌っていた歌は『イルカに乗った少年』でした。」

お兄さん「その歌は動物虐待に当たるとして、一部地域で放送禁止になっているそうですね。」

東映(弟)君「あの腐れ〇唐共は、どげんかせんといかんでごわす。」

お兄さん「毛〇はいけませんね、外道ならともかく。ところで、前回のお話の補足をしておきましょう。」

東映(弟)君「人種差別についてでごわすな?」

お兄さん(何故知っているか訊くのは野暮だな。進行に差し支えるし。)

東映(弟)君「人種差別は本能から来るとのことでごわすが、これはどういうことでごわすか?」

お兄さん「異物は排除されるということです。種の生存にかかわることです。」

東映(弟)君「なして、わざわざ人種差別なんて言うでごわすか?」

お兄さん(鹿児島弁で『なして』とは言わないでしょうが。相変わらず、いい加減な演出だ。)

お兄さん「その方が賢そうに聞こえるからです。実態は、異物を排除する理由の誤魔化しに過ぎません。」

東映(弟)君「鯨は賢いんでごわすか?」

お兄さん「『L』と『R』の聞き取り・発音は出来ませんし、ナイフとフォークで食事もしません。それに鯨以外の他の動物が劣っているというのは、主観的で恣意的な思い込みに過ぎません。おまけに言い訳のために小難しい単語を発明したりしません。」

東映(弟)君「単なる言いがかりでごわすな。」

お兄さん「つい最近までは寿司・刺身も野蛮な生食でしたが、今ではそんなことを言う人はほとんどいません。」

東映(弟)君「動画で日本紹介する連中も、陰では英語でけなしているでごわすな?」

お兄さん「あの連中は単なる子供です。」

東映(弟)君「チャイニーズ・カナダの陰謀かと思っていたでごわす。」

お兄さん(十分あり得る。)

お兄さん「今日はこれまでにしましょう。また、いつか。ご機嫌よう。」

東映(弟)君「ご機嫌ようでごわす。」

お兄さん「なんでもごわすと言っておけば、鹿児島弁になると思ってませんか?」

東映(弟)君「・・・。ご機嫌よう。」

演出参照:「シルクハットの大親分 ちょび髭の熊」鈴木則文監督(東映)

戦争必勝法

戦争とは、暴力的手段による金儲けである。組織暴力団が縄張りを広げること、又は守ることと本質的に変わりはない。少なくとも、私には違いがわからない。

戦争に敗けると悲惨な目に遭うことだけは確かなので、必勝法を考えてみた。

まず、自己(及び自己が属する集団)の縄張り内を争いの舞台にしないこと。この鉄則は米国から学ぶことが出来る。日本国のように縄張りの小さい国がこの鉄則を守れないようでは話にならない。

だが、最も賢い方法は自己と関係のない者同士を争わせておくことだ。

武器も争いの当事者双方に販売すると儲けを増やすことが出来る。

争いの当事者が疲弊しきったところでさらにおいしいところをいただくという高等技術も存在する。

気を付けないと争いの当事者にされたり、巻き添えをくらったりする。

任天堂に便乗商品のご提案

呑んでいると馬鹿なコトを考えて口にすることはよくある。前の時はこうだった。

 

酔客「最近、『ポケモンゴー』ってのが、流行っているらしいね。」

店主「あぁ。」

酔客「考えたんやけど、『東映ゴー』ってどう?」

店主「はぁ?」

酔客「刑務所の前に行ったら、マムシの兄弟が出てきたりすんの。」

店主「ふぅん」

酔客「川谷拓三さんと福本清三さんがやたらと出てくるけど。」

店主「そう・・・」

 

実際に任天堂に営業をかけたらどうなるか想定してみた。

営業マン「・・・という訳で、京都市バスが走り回る広島市街地では・・・」

役員A「あなたは何を言ってるんですか?」

営業マン「勿論、青木君は爆薬を積んだ新幹線に乗って登場しますよ。」

役員B「JRから苦情が来ませんか?」

社員C「いつものゲリラ撮影じゃないんですから・・・」

営業マン「一部の東映マニアなら絶対買いますよ。」

役員A・B「・・・。」

社員C「あまり、売れそうにないですね。」

営業マン「特典として初回販売分ではデビルマンが出現します。」

役員A「ほあーん。あ、急にお腹が痛くなってきた。済まないけど、後はよろしく。失礼致しますね。」

営業マン「なんでしたら、北京原人も付けましょう。」

役員B「うぱー。あ、緊急の用件を思い出した。済まないけど、後はよろしく。失礼致しますね。」

社員C「お話につきましては社内で検討致します。本日はありがとうございました。」

営業マン「こちら企画書です。こちらこそありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。」

秘書D「あの、お見送りは?」

社員C「塩まいといて。後、これ廃棄しといてね。」

秘書D「シュレッダーで裁断しておきますね。」

社員C「電気代が無駄なんで、結構です。」

こうして、一つの企画がまた闇に消えていった。

 

演出参照:「仁義なき戦い」深作欣二監督(東映)シリーズより

「まむしの兄弟」中島貞夫監督(東映)シリーズより

「新幹線大爆破」佐藤純弥監督(東映)

「デビルマン」那須博之監督(東映)

「北京原人」佐藤純弥監督(東映)

宗教ポルノ(金は天下の回り物)

先に断っておくが、カソリックの司祭が年端もいかぬ幼気な少年を襲ったり、生臭坊主が檀家のご婦人と致したりする話ではない。

宗教・淫売・かっぱらいと由緒正しき商売がある中で、その中の一つである宗教という商売に関する話である。

今のご時世でこんな斬新な商売を考えつけば、満場一致でノーベルビジネス賞が受賞出来ることだろう。

恣意的な我流の解釈に基づき、創業者の欲望に無理矢理合致させた教義、関連商品の開発、とその意欲は留まるところを知らない。

行き過ぎた商行為を非難されれば、理不尽な迫害を受ける正しいワタクシを演じることも忘れない。一流の商売人は転んでもタダでは起きないものである。

さて、個人商店から始まったこの商売。ついには営利団体(表向きは非営利団体)へと見事に発展を遂げ、現在では同業者と熾烈な争いを繰り広げているのはご存じのとおり。よっぽど旨味のある商売とみえる。

当たり前の話過ぎて恐縮だが、お金を欲しがり、使うのは生きた人間だけだ。天上ではお金は使えないよ。

大日本帝国の後に

アジアの覇権を握るのは、中国かはたまたインドか?

俺の短い残り人生に比べれば長い歴史の中で、それも泡沫の夢に終わるだろう。

仮に大中華帝国が誕生したとすれば、その後どうなるか想像してみた。

大日本帝国と変わらない気がする。北からロシア、東から米国が攻めてくるのではないかな。

有色人種で、非キリスト教国家の前途は当面厳しいと思っている。

とは言え、キリスト教国家も現在進行中のイスラム教国家との争いで内部崩壊の危機を迎えることになりそうだし・・・。

未来のことはまるでわからない。

単勝有金一点勝負

競馬場で見ることができる一神教信者の典型的な行動様式である。

無謀にして楽観的なギャンブラー達は決まってこう言う。

「こいつをぶち当てて、俺は天国に行くぜ!」

だが、現実は甘くない。ギャンブラーはスッテンテンになり、この世の地獄を覗き見る。帰りの電車賃くらい残しておくべきだったと悔やんでも後の祭り。

先のことが見えてりゃ誰も苦労はしない。

貧乏を憎め

テレビは貧乏臭いから見ることが少ない。動物ものの記録映像と天気予報程度しか見ていない。

勤めるようになって、映画館で映画を観ることもほとんどなくなった。皆無と言っていい位に。

テレビの貧乏臭さというのは、例えば五分間の映像にかけられるお金の話で考えれば早い。かけられるお金が映画とテレビで違っている(いた?)のだ。

悲しいことに、最近では映画までも貧乏臭くなってきているみたいだ。映画の構成要素の現状について、少し考えてみればわかる。

脚本は漫画の原作ばかりで、脚本家の育成は放棄されかけ。役者はテレビなんかで食っている現状。映画製作現場はひたすら貧しくなっていく。

鯨はまだ生き残っているけれど、千両を使う千両役者は絶滅してしまった。一人の市川雷蔵なり勝新太郎なりを育てようとしたら、一体いくらかかるのだろう?

経費削減を考える映画製作側は、貧すれば鈍すですっかりドツボにはまっていく。しかし、これも観客側である俺の思い込みに過ぎない(かも知れない)。

試しに、東宝と松竹の財務諸表を見てみたが、映像部門では利益をあげている。(不動産部門で手堅く稼いでいるところも同じ。不動産部門が保険にあたるのかな。)

ざっと確認できるのはそこまでで、所謂、邦画と洋画の利益の内訳までは確認出来ていない。もしかすると、税金対策で邦画部門で赤字を出している可能性も有り得る。

邦画に関して言えば、販売対象は主に日本国内のガキだから、俺は含まれていない。大人たる者、子供騙しの安物に手を出すワケにはいかないからね。

大人の庶民はささやかな贅沢すら味わえなくなっていく。もしかすると、そんな映画もつくられているかも知れないが、俺には知る機会がない。

道楽とは言わないが、せめてささやかな贅沢がしたい。だから俺は貧乏を憎む。

この駄文は下記文献を参照にしてます。

「おこりんぼさびしんぼ」山城新伍著(廣済堂文庫刊)

はじめに言い訳があった

言い訳は神と共にあった。

講釈師、見てきたような嘘をつき。パパン、パン、パン、パン。

「この世の始まり?んなもなぁ、知らねぇなぁ。」では、話にならぬ。そもそも話が始まらねぇ。

てなわけで、いっちょ話をでっち上げましょうや。

何?、どうしてあっし等がここにいるかって?そりゃ、神様が創ったんだよ。

何?、地震・雷に火事が怖い?そりゃ、神様のお怒りだよ。親が死んだのも、子が死んだのも神様の気まぐれ、じゃねぇ、思し召しってやつだよ。

おぉ、こりゃ都合がいい。何でも説明が付いちまう。

こうして、神と神の有難い教えである宗教はここにでっち上げられましたとさ。講釈師は今日の飯と酒にありつき、明日の飯と酒のために、ひたすら出鱈目を言い続けることになりました。

めでたくないね。

混ぜるな危険

移民が来たらどうなるのか、ちょっと想像。

駅前に売春宿と阿片窟が出来るだけじゃないかな?今あるパチンコ屋という名の賭博場に加えて。

そもそも、日本語という言語は世界的に見てごく少数の人間しか使用していないのに、わざわざ日本くんだりまで来る連中のことが理解出来ない。

どうせ本国にいられない訳あり物件でしょうが。英会話講師なんか見ればわかるけど、ロクな奴がいない。

そんな連中の考えることは「楽して暮らしたい」ってことだけでしょ。てっとり早く金になるなら、犯罪行為に安易に走る程度の。

最初だけ殊勝な態度を見せといて、隙があれば家族なんかを呼び寄せて、数の力で好き放題。やることがないから盛りまくってどんどん増えていくばかり。

覚えられない日本語も仲間内でなら話す必要もないし、日本語も日本の風習も知らないフリをしておけばやりたい放題。

そもそもこの国は狭すぎる。どっかの国の人間が言うことには、俺たちは「ウサギ小屋」に住んでるそうな。

既に入り込んでる連中は「既成事実」にしか見えやしない。

どうしようもない過去が連れてくるのは、もっとどうしようもない未来だけ。

狭いところででかい声出すのは勘弁してくれ、腐れポコペンが。

流行り病

お兄さん「よい子のための文化講座の時間がやってまいりました。助手の東映君準備はいいかな?」

東映君「東映専門学校中退の東映です。御一統さん、よろしゅうおたの申します。」

お兄さん「今日は捕鯨問題について考えてみましょう。」

東映君「勝新太郎さん主演の鯨神は大映制作でっけど?」

お兄さん「それは置いといて、日本の捕鯨に反対する国が世界にはあります。」

東映君「どこのガキでっか?」

お兄さん「主にオーストラリア辺りですね。」

東映君「あれら、羊だけじゃ飽き足りず鯨やイルカとFxxkしよるんですか?コンニャクにしとけばいいもんを。」

お兄さん「冒頭からとばしますね。でもね東映君、君のところはスグに脚本が破綻することが多すぎますよ。話は最後までキレイにまとめて下さいね。」

東映君 「・・・。ところで捕鯨に反対する理由は何でっか?」

お兄さん「単なる流行りです。」

東映君「アホなガキは簡単に乗せられまんなぁ。誰のシノギでっか?」

お兄さん「よく知りませんし、どうでもいいです。馬鹿の相手してる程暇じゃありません。」

東映君「尺が余ってまんがな。流行りについて、も少し。」

お兄さん「人口が増えると食料問題が発生します。鯨は人に食われる運命です。流行りに乗っかっている連中は、その頃にはとっくに別の流行りに乗っかってます。以上。」

東映君「今が問題ちゃうんですか?なめたガキのトコに殴り込んでみたらどないでっか?」

お兄さん(出た。東映にありがちなド定番の殴り込み。脚本家不足は深刻だ。)

お兄さん 「東映君、現実は映画とは違いますよ。それに人種差別自体がなくらない限り、この問題はなくならない気がしますけどねぇ。」

東映君「その人種差別はどっから来よったんですか?」

お兄さん「人間の本能です。」

東映君「じゃ、仕方ないですわな。」

お兄さん「聖書には鱗のない魚を食べてはいけないと記載されているようです。」

東映君「鯨は哺乳類でっしゃろ?魚類やおまへんやろ?」

お兄さん「島流しにあった罪人の子孫に一般教養を求めても無駄です。」

東映君「何か話がグダグダでんなぁ。」

お兄さん「あなたにそれを言う資格があるか、胸に手を当ててよく考えて下さい。」

東映君「・・・」

お兄さん「今日はこれまでにしましょう。また、いつか。ご機嫌よう。」

東映君「・・・」

お兄さん「ちゃんと挨拶しましょうね。」

東映君「・・・。ご機嫌よう。」