寄らば大樹のブランド志向

下品なトウエイストは世を忍ぶ仮の姿で、何を隠そう私はダイエイストである。

無駄に年を食っていないことを装うために、世の大人としてはブランドで武装しておくものだ。

ちなみにド底辺はアルバトロシストである。その揺るぎない根拠は下に書いてある。

生物学を無視した上で何かと言えば巨大生物を持ち出し、本編に登場しない場面を販促資料に使用するという眩暈すら覚える外道ぶり。京都市営地下鉄より素早く移動する蛇を見て、何とも思わない奴は一度医者にかかっておいた方がよろしい。

もう一つおまけにあのカス共は盆と正月とアルマゲドンが来ないと年が越せないらしい。更におまけして物理法則は無視するものというイカレタ法則を持ち合わせ、三度の飯よりサメが好きな連中だ。

ここにネットで出回る商品及び宣伝文句一覧の一部を挙げておく。

 

アルマゲドン2007:10年に1度の当たり年のアルマゲドン

アルマゲドン2008:品質は昨年より良いアルマゲドン

アルマゲドン2009:出来は上々で申し分の無い仕上がりのアルマゲドン

アルマゲドン2010:ここ10年で最高のアルマゲドン

アルマゲドン2011:過去10年で最高と言われた07年を上回る出来栄えのアルマゲドン

アルマゲドン2012:100年に1度の出来、近年にない良い出来のアルマゲドン

アルマゲドン2012 マーキュリー・クライシス:中々の出来栄えのアルマゲドン

アルマゲドン2013:ここ数年で最高のアルマゲドン

アルマゲドン2014:昨年同様良い出来栄えのアルマゲドン

アルマゲドン20XX:えげつなく世紀末感が豊かで上質な味わいのアルマゲドン

アイス・アルマゲドン:豊かな世紀末感とお手頃価格のCGが調和したアルマゲドン

シン・アルマゲドン: 50年に1度の出来栄えのアルマゲドン

アルマゲドン・パニック: 2009年と同等の出来のアルマゲドン

アルマゲドン・オブ・ザ・デッド:昨年並みの仕上がりのアルマゲドン

エイリアン・アルマゲドン:2009年より世紀末感に富んだリッチなアルマゲドン

 

・・・うんざりだ。目に見える巨大生物のクソに突っ込んでいく馬鹿がどこにいる?

 

偶に魔がさすこともあるが、呑んで醜態を晒すことに比べれば、それはまぁご愛嬌ということで・・・。

 

参照:某掲示板

貧乏を憎め

テレビは貧乏臭いから見ることが少ない。動物ものの記録映像と天気予報程度しか見ていない。

勤めるようになって、映画館で映画を観ることもほとんどなくなった。皆無と言っていい位に。

テレビの貧乏臭さというのは、例えば五分間の映像にかけられるお金の話で考えれば早い。かけられるお金が映画とテレビで違っている(いた?)のだ。

悲しいことに、最近では映画までも貧乏臭くなってきているみたいだ。映画の構成要素の現状について、少し考えてみればわかる。

脚本は漫画の原作ばかりで、脚本家の育成は放棄されかけ。役者はテレビなんかで食っている現状。映画製作現場はひたすら貧しくなっていく。

鯨はまだ生き残っているけれど、千両を使う千両役者は絶滅してしまった。一人の市川雷蔵なり勝新太郎なりを育てようとしたら、一体いくらかかるのだろう?

経費削減を考える映画製作側は、貧すれば鈍すですっかりドツボにはまっていく。しかし、これも観客側である俺の思い込みに過ぎない(かも知れない)。

試しに、東宝と松竹の財務諸表を見てみたが、映像部門では利益をあげている。(不動産部門で手堅く稼いでいるところも同じ。不動産部門が保険にあたるのかな。)

ざっと確認できるのはそこまでで、所謂、邦画と洋画の利益の内訳までは確認出来ていない。もしかすると、税金対策で邦画部門で赤字を出している可能性も有り得る。

邦画に関して言えば、販売対象は主に日本国内のガキだから、俺は含まれていない。大人たる者、子供騙しの安物に手を出すワケにはいかないからね。

大人の庶民はささやかな贅沢すら味わえなくなっていく。もしかすると、そんな映画もつくられているかも知れないが、俺には知る機会がない。

道楽とは言わないが、せめてささやかな贅沢がしたい。だから俺は貧乏を憎む。

この駄文は下記文献を参照にしてます。

「おこりんぼさびしんぼ」山城新伍著(廣済堂文庫刊)

宝の山

黒澤明監督の「七人の侍」を見たのは四十歳を過ぎてからだった。

溝口健二も小津安二郎も成瀬巳喜男もまだ知らないも同然の状態。

こんなにいいものが溢れかえっていたとは不覚。

この国に生まれ育った幸せを痛感する。

若山先生の極道シリーズも見ずに死んでたまるかと思う今日この頃。

宝の山の入り口で心は躍る。