「完璧な国」は存在せず、「完璧な人」も存在しない。当たり前だ。
なのに何故、完璧な宗教なるものが存在しうるのか?
「完璧な宗教」、などという単なる勘違いを信じ続けることには無理があり過ぎる。
禁断の果実は集ってきた蠅と蛆虫のせいで腐り果て、バベルの塔は崩れ落ち、天から垂れた蜘蛛の糸は切れてしまう。
底なしの欲望は災禍を招くこともある。お目出度い願望も同じこと。
いい加減うんざりする。身の程を知らないとね。
「完璧な国」は存在せず、「完璧な人」も存在しない。当たり前だ。
なのに何故、完璧な宗教なるものが存在しうるのか?
「完璧な宗教」、などという単なる勘違いを信じ続けることには無理があり過ぎる。
禁断の果実は集ってきた蠅と蛆虫のせいで腐り果て、バベルの塔は崩れ落ち、天から垂れた蜘蛛の糸は切れてしまう。
底なしの欲望は災禍を招くこともある。お目出度い願望も同じこと。
いい加減うんざりする。身の程を知らないとね。
私は喫煙者である。
きっかけは馬鹿なガキの背伸びに過ぎない。カッコいい大人になれると勘違いしていただけだ。
喫煙は単なる悪習に過ぎない。煙草の包装にもこう記載されている。曰く「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つになります。」と。
聖書なんかにも以下の断り書きを付すべきである。曰く「行き過ぎた信仰は、あなたの精神的な健康を損なう恐れがあります。」と。
一部の薬物(アルコールを含む)は依存症が進行すると幻覚が見えるらしい。
狂った教祖様や信者に、神だのこの世の真実だのが見えるのと大して変わらない。
悪いのは宗教や薬物ではない。あくまでも人の話である。
人には依存するという性質があるため畜生にも劣る。
最近の私は、喫煙という悪習に加えて、70年代の東映映画にも依存しつつある。血液中の丸いヘモグロビンが「義理欠く、恥かく、人情欠く」でお馴染みの三角に変わっているかのように。
大した害はないので放っておいていただきたい。
先に断っておくが、カソリックの司祭が年端もいかぬ幼気な少年を襲ったり、生臭坊主が檀家のご婦人と致したりする話ではない。
宗教・淫売・かっぱらいと由緒正しき商売がある中で、その中の一つである宗教という商売に関する話である。
今のご時世でこんな斬新な商売を考えつけば、満場一致でノーベルビジネス賞が受賞出来ることだろう。
恣意的な我流の解釈に基づき、創業者の欲望に無理矢理合致させた教義、関連商品の開発、とその意欲は留まるところを知らない。
行き過ぎた商行為を非難されれば、理不尽な迫害を受ける正しいワタクシを演じることも忘れない。一流の商売人は転んでもタダでは起きないものである。
さて、個人商店から始まったこの商売。ついには営利団体(表向きは非営利団体)へと見事に発展を遂げ、現在では同業者と熾烈な争いを繰り広げているのはご存じのとおり。よっぽど旨味のある商売とみえる。
当たり前の話過ぎて恐縮だが、お金を欲しがり、使うのは生きた人間だけだ。天上ではお金は使えないよ。
競馬場で見ることができる一神教信者の典型的な行動様式である。
無謀にして楽観的なギャンブラー達は決まってこう言う。
「こいつをぶち当てて、俺は天国に行くぜ!」
だが、現実は甘くない。ギャンブラーはスッテンテンになり、この世の地獄を覗き見る。帰りの電車賃くらい残しておくべきだったと悔やんでも後の祭り。
先のことが見えてりゃ誰も苦労はしない。
言い訳は神と共にあった。
講釈師、見てきたような嘘をつき。パパン、パン、パン、パン。
「この世の始まり?んなもなぁ、知らねぇなぁ。」では、話にならぬ。そもそも話が始まらねぇ。
てなわけで、いっちょ話をでっち上げましょうや。
何?、どうしてあっし等がここにいるかって?そりゃ、神様が創ったんだよ。
何?、地震・雷に火事が怖い?そりゃ、神様のお怒りだよ。親が死んだのも、子が死んだのも神様の気まぐれ、じゃねぇ、思し召しってやつだよ。
おぉ、こりゃ都合がいい。何でも説明が付いちまう。
こうして、神と神の有難い教えである宗教はここにでっち上げられましたとさ。講釈師は今日の飯と酒にありつき、明日の飯と酒のために、ひたすら出鱈目を言い続けることになりました。
めでたくないね。
人が歩いてる時に声をかけてくるバカがいる。
もっと酷いのになるとワザワザ家まで来やがる。
有難い話を聞かせたいそうな。
お断りだ。
俺にはちっとも有難くない。
般若心経も聖書もコーランも読んでないが、これだけは間違いなく言える。
お前の宗教がどんなもんかは知らないが、お前はクソだ。
お前の傲慢さ、お前の無知を徹底的に軽蔑してやる。
人に物を教えてやろうという態度が気にくわねぇ。
人を見下しているその性根が放つ悪臭に俺は耐えられん。
祈ってる暇があったら、ゴミ拾いでもしてな。