2. 分岐について
(1)ひまそら氏の立候補選択に至る分岐点
得票が有効投票数の1割未満だと没収される供託金300万円を支払ってまで氏は東京都知事選に立候補することを選択した。
立候補を表明する必要条件として氏がいくつかの条件を設定していたものと思われるが、氏による分岐処理の設定はその内明らかにされるかも知れない。
言い換えると立候補を表明しないという選択肢が消滅してしまった理由になるのだが、幾つかの理由(条件)がありその一つとして報道の問題があると私は考える。
(2)報道機関の現状と分岐点
ペンが剣にも金にも負けていることが目につく昨今において、報道媒体は新聞・テレビからネットへ移行しつつありその流れは加速している。
テレビ局が御覧のスポンサー様の顔色をうかがって番組を制作していることは社会に出て働いていれば理解出来なくもない。
しかし奇妙なことに最近のテレビ局は、御覧のスポンサー様以外の誰かの顔色をうかがっているとしか思えない節がある。
中国が報道を自国に有利になるよう操作しており日本では毎日新聞がその役割を担っている、と告発したイギリスのガーディアン紙の記事があったことを個人的に思い出す。
ではネットなら信頼出来るかというとそうとも言えない。情報発信者の中には明らかに資金提供者の意向に沿っていると思える者がいるからだ。インフルエンサーと呼ばれる影響力のある人々に対してなら資金提供する価値も十分あるのだろう。
個人でも発信可能で自由競争原理に従うネットに現状の報道機関が対抗出来るとは思えない。
既存の報道機関は衰退滅亡か生き残りの分岐点に立っている。
そして情報を受け取る消費者側は嘘の洪水に溺れさせられないように情報を取り扱うことを学ぶ必要がある。
最後に大切なことなので書いておくが、私はひまそらあかね氏の健闘と無事を祈る。
【著者注記】
「ひまそらあかね氏東京都知事選立候補と分岐点-3」に関する著作権を放棄いたします。
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