キミを離さない

金持ちが手元の金に、核兵器保有国が保有する核兵器に向かって言うセリフだ。

既得権益をむざむざ手放すヤツはいない。

肌の色まで既得権益として取り扱うヤツまでいる。

なので、平等なんて以ての外、世界中の全ての国々が核兵器を保有するなんてことはない。(全米ライフル協会の主張は核兵器には適用されない。)

仮に平等になることがあっても、そんなものは一瞬で消え去る幻だ。ただの休戦状態だっただけだから。

お互いに銃を突きつけあった状態は長くは続かない。進み続けるということはそういうことでもある。

まずいね、どうも。人種差別主義者を認めることになりそうだ。

器が小さいとこうなる。人なり国なりを測る物差しが少な過ぎるせいだ。

困ったことに人と人との関係、国と国との関係は相対的なもので、常に変化し続けている。気づいた時には上下関係(支配被支配関係)が逆転していることもよくある。

変化についていけないヤツ、変化を認めたくないヤツは既得権益にしがみついて、その維持に努めることになる。その場合、最期に頼りになるものは「暴力」になることが多い。

とかく浮世はままならぬ、日傘さす人作る人、歌の文句を思い出す。

戦争必勝法

戦争とは、暴力的手段による金儲けである。組織暴力団が縄張りを広げること、又は守ることと本質的に変わりはない。少なくとも、私には違いがわからない。

戦争に敗けると悲惨な目に遭うことだけは確かなので、必勝法を考えてみた。

まず、自己(及び自己が属する集団)の縄張り内を争いの舞台にしないこと。この鉄則は米国から学ぶことが出来る。日本国のように縄張りの小さい国がこの鉄則を守れないようでは話にならない。

だが、最も賢い方法は自己と関係のない者同士を争わせておくことだ。

武器も争いの当事者双方に販売すると儲けを増やすことが出来る。

争いの当事者が疲弊しきったところでさらにおいしいところをいただくという高等技術も存在する。

気を付けないと争いの当事者にされたり、巻き添えをくらったりする。

宗教ポルノ(金は天下の回り物)

先に断っておくが、カソリックの司祭が年端もいかぬ幼気な少年を襲ったり、生臭坊主が檀家のご婦人と致したりする話ではない。

宗教・淫売・かっぱらいと由緒正しき商売がある中で、その中の一つである宗教という商売に関する話である。

今のご時世でこんな斬新な商売を考えつけば、満場一致でノーベルビジネス賞が受賞出来ることだろう。

恣意的な我流の解釈に基づき、創業者の欲望に無理矢理合致させた教義、関連商品の開発、とその意欲は留まるところを知らない。

行き過ぎた商行為を非難されれば、理不尽な迫害を受ける正しいワタクシを演じることも忘れない。一流の商売人は転んでもタダでは起きないものである。

さて、個人商店から始まったこの商売。ついには営利団体(表向きは非営利団体)へと見事に発展を遂げ、現在では同業者と熾烈な争いを繰り広げているのはご存じのとおり。よっぽど旨味のある商売とみえる。

当たり前の話過ぎて恐縮だが、お金を欲しがり、使うのは生きた人間だけだ。天上ではお金は使えないよ。

単勝有金一点勝負

競馬場で見ることができる一神教信者の典型的な行動様式である。

無謀にして楽観的なギャンブラー達は決まってこう言う。

「こいつをぶち当てて、俺は天国に行くぜ!」

だが、現実は甘くない。ギャンブラーはスッテンテンになり、この世の地獄を覗き見る。帰りの電車賃くらい残しておくべきだったと悔やんでも後の祭り。

先のことが見えてりゃ誰も苦労はしない。

貧乏を憎め

テレビは貧乏臭いから見ることが少ない。動物ものの記録映像と天気予報程度しか見ていない。

勤めるようになって、映画館で映画を観ることもほとんどなくなった。皆無と言っていい位に。

テレビの貧乏臭さというのは、例えば五分間の映像にかけられるお金の話で考えれば早い。かけられるお金が映画とテレビで違っている(いた?)のだ。

悲しいことに、最近では映画までも貧乏臭くなってきているみたいだ。映画の構成要素の現状について、少し考えてみればわかる。

脚本は漫画の原作ばかりで、脚本家の育成は放棄されかけ。役者はテレビなんかで食っている現状。映画製作現場はひたすら貧しくなっていく。

鯨はまだ生き残っているけれど、千両を使う千両役者は絶滅してしまった。一人の市川雷蔵なり勝新太郎なりを育てようとしたら、一体いくらかかるのだろう?

経費削減を考える映画製作側は、貧すれば鈍すですっかりドツボにはまっていく。しかし、これも観客側である俺の思い込みに過ぎない(かも知れない)。

試しに、東宝と松竹の財務諸表を見てみたが、映像部門では利益をあげている。(不動産部門で手堅く稼いでいるところも同じ。不動産部門が保険にあたるのかな。)

ざっと確認できるのはそこまでで、所謂、邦画と洋画の利益の内訳までは確認出来ていない。もしかすると、税金対策で邦画部門で赤字を出している可能性も有り得る。

邦画に関して言えば、販売対象は主に日本国内のガキだから、俺は含まれていない。大人たる者、子供騙しの安物に手を出すワケにはいかないからね。

大人の庶民はささやかな贅沢すら味わえなくなっていく。もしかすると、そんな映画もつくられているかも知れないが、俺には知る機会がない。

道楽とは言わないが、せめてささやかな贅沢がしたい。だから俺は貧乏を憎む。

この駄文は下記文献を参照にしてます。

「おこりんぼさびしんぼ」山城新伍著(廣済堂文庫刊)

はじめに言い訳があった

言い訳は神と共にあった。

講釈師、見てきたような嘘をつき。パパン、パン、パン、パン。

「この世の始まり?んなもなぁ、知らねぇなぁ。」では、話にならぬ。そもそも話が始まらねぇ。

てなわけで、いっちょ話をでっち上げましょうや。

何?、どうしてあっし等がここにいるかって?そりゃ、神様が創ったんだよ。

何?、地震・雷に火事が怖い?そりゃ、神様のお怒りだよ。親が死んだのも、子が死んだのも神様の気まぐれ、じゃねぇ、思し召しってやつだよ。

おぉ、こりゃ都合がいい。何でも説明が付いちまう。

こうして、神と神の有難い教えである宗教はここにでっち上げられましたとさ。講釈師は今日の飯と酒にありつき、明日の飯と酒のために、ひたすら出鱈目を言い続けることになりました。

めでたくないね。

混ぜるな危険

移民が来たらどうなるのか、ちょっと想像。

駅前に売春宿と阿片窟が出来るだけじゃないかな?今あるパチンコ屋という名の賭博場に加えて。

そもそも、日本語という言語は世界的に見てごく少数の人間しか使用していないのに、わざわざ日本くんだりまで来る連中のことが理解出来ない。

どうせ本国にいられない訳あり物件でしょうが。英会話講師なんか見ればわかるけど、ロクな奴がいない。

そんな連中の考えることは「楽して暮らしたい」ってことだけでしょ。てっとり早く金になるなら、犯罪行為に安易に走る程度の。

最初だけ殊勝な態度を見せといて、隙があれば家族なんかを呼び寄せて、数の力で好き放題。やることがないから盛りまくってどんどん増えていくばかり。

覚えられない日本語も仲間内でなら話す必要もないし、日本語も日本の風習も知らないフリをしておけばやりたい放題。

そもそもこの国は狭すぎる。どっかの国の人間が言うことには、俺たちは「ウサギ小屋」に住んでるそうな。

既に入り込んでる連中は「既成事実」にしか見えやしない。

どうしようもない過去が連れてくるのは、もっとどうしようもない未来だけ。

狭いところででかい声出すのは勘弁してくれ、腐れポコペンが。

移民と奴隷

今でいう先進国が、本人たちの意思にお構いなく他国から連れてきていた奴隷が、今では移民難民として向こうから押し寄せてくる昨今。

言葉も覚束ない者たちに出来る仕事は、単純作業と元からの住人が嫌う汚れ仕事で、基本賃金は低いのが相場。

経営者にとっては、経費削減に効果があるという利点があるけれど、旨い話には裏があって当然。昔から梅に鶯、松に鶴、牡丹に唐獅子、朝吉親分に清次、奴隷に反乱という言葉があるじゃないか。

仕事が有り余っていて、猫の手も借りたいというならいざ知らず、失業率が0%を切ったことはほとんどないはず。(よく調べずに書いてるので暇な人は調べてちょうだいな)元からの住人の失業率は上がることとなり、怒りの矛先が向かう先は移民達というわかりきった未来しか見えない。

現代の奴隷制度を夢見る経営者の皆様は、米国が移民制限を検討している状況をどうお考えか?